才能

2013年10月 2日 (水)

たのしく叩けば迷いは消える!!

自分がドラムを教えていて、
長い間ドラムを叩いてきて、
一つの結論は音楽は技術で語るものではないってことなんです。

どんなときに音楽を聞いて感動したかと振り返ると、
魂込めた音楽、
人生かけた音楽、
そゆのに感動したよなと。
感動した音楽って迷いが作り手にないのです。

迷いなく創作できる、演奏できる「気づき」のあるひとが才能ある人と言い換えてもいいです。
「作りたい!!」って情熱がすべてを上回ってる状態。

20代の頃、もっとうまくなって経験つめば迷いなく演奏できるようになる、人に認められる、プロになれるって考えて練習が優先順位の一番でした。

でも若くして売れている人たちは、みんなうまいのか、ってみたら全然そうじゃない。
でも人を感動させている。
あ~これが才能なんだなと、努力ではどうしようもない世界だ・・・
思いっきり凹んだことがあります。

それをドラムをプレイする視点にフォーカスして言うと、もしドラマーに迷いがあったらリズムにも必ずその迷いが出る。

バンドの土台のドラマーが迷っていたら他のメンバーがいくらがんばってもドラマーの精神レベルで音楽が落ち着いてしまう。
(でも不思議なことに?その逆は違うのですよ。
ギターが迷っていてもドラマーがすばらしかったら、ギターリストは包める。)

へたな高校生のバンド見てもそいつらが必死でやっていたら、ふと胸を打たれることっ
てあります。
ライブの本番で経験不足とかうまいとかへたとか超越しちゃってる瞬間が。

アーティストはよく言うでしょ、「何かが降りてきた。この作品はそれが作らせたもので自分はただ手を動かしただけだ。」

その高校生とアーティストと実は同じことなんですよ!!

自分が消えている、のです。


なんとかそれを意識的努力で誰でもが、トップアーティストの境地に近づくことはできないものか。

それを考え続けていて「自分が消えている」
そこに答えがありました!!!


つまり迷ってるって状態は自分が一番なんです。
まわりはそのつぎ。

その状態でいくら練習しても、日本一のドラマーになったら次は世界一、次は宇宙一ってエンドレスで自分のことを追いかけ続けるしかない。
それでは迷いは死ぬまで消えない。

「自分」は二番目。一番は他者、周りのメンバー。
そう視点を入れ替えたら「なんで練習してるのだろう」「なんでうまくなりたいのだろう」の先にメンバーの楽しそうな顔が浮かんできたのです。

感動するってそういうことが出発点だよなと。
自分中心に考えていたら120%人は感動しない、その前に目の前にあるバンドがスイングしない。
とくにドラマーはメンバーをスウィングさせることが楽器の性質上いちばん大切だ!!
Images

でも凡人である我々が簡単に迷いがなくなるか?
いきなり憧れのドラマーのように演奏できるか
 (↑ジョン・ボーナムだ~)
そんなんでどうやったら人を感動させれるの???



メンバーやお客さんのたのしい笑顔^0^

それが答えです。

笑顔が見たかったら、まず自分が楽しく叩く

「楽しく演奏する」ができると
迷いがあっても、才能が無くても、練習不足でも(笑)メンバーやお客さんをスウィングさせることができるのです、笑顔が見れるのです。

エネルギーにはプラスとマイナスしかなくて、楽しく演奏する、叩くができてしまうとマイナスのエネルギー(迷い、練習不足、才能の無さ・・・)が全部プラスのエネルギーに変換しちゃうのです。

”うん、よくわかった!!でも・・・”

「楽しい」に慣れていないのだったら
「迷い」が足をひっぱるのだったらどうしたらいいか?

一人で練習するときも
バンドであわせるときも
いつもいつも「楽しく叩く」に気持ちをフォーカスして
「楽しく」を意識して演奏、練習をしてください。


人によりますが、半年~一年くらいでいつどんなときでも楽しく演奏する、叩くが無意識に出来るようになっています。

練習する前に、
バンドでスタジオはいる前に、
ライブの前に
「楽しく演奏する」を3回つぶやくことを習慣にしてみてください。

「たのしく叩けば迷いは消える!!」
これが自分の才能を最大限発揮する一番近道の「練習方法」です

半年後、音が変わっています。
否、その前にメンバーの笑顔でそれを確認できるでしょう!!

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2013年3月26日 (火)

社会人のみなさまへ

以下の文は前田ドラムスクールからの抜粋です。。。。。

^0^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^0^

仕事にアートティストの感性を!

当たり前のことですが、このサイトを見られているあなたはドラムに興味があってここに辿りつきました。なにかの理由、キッカケがあってドラムをはじめてみたいな、もう一度取り組みたいなと思われていることでしょう。

従来の捕らえ方では、仕事と趣味は別物でありました。

 

ドラムって楽器は、打楽器の集まりです。

英語では”Drums"って複数形になってます。

打楽器は人の気持ちを鼓舞します。

自分が楽しく叩いてるとメンバーやお客さんも楽しくなります。

でも、「楽しく」ってのが以外にできないんですよね。

「うまくなる」に手や足を引っ張られて(笑)

まだまだ私は下手だから、って練習不足や他のメンバーを気にしながら叩いてると、その気持ちがダイレクトに音に出てしまうのが打楽器の、ドラムの面白いところです。

 

良いドラマーとは「技術」「リズムパターン」「メンタル」この3つが高いレベルでバランスが取れているドラマーのことです。

普通はテクニックとリズムパターンが豊富なドラマーを「うまいドラマー」と言います。
しかし多くのプロミュージシャンと接してきて、技術以前にメンタルをコントロールできている人が良いドラマー、優秀なミュージシャン、であると気づいたのです。

 

当然生徒さんにはうまくなっていただきますが、
ほかのドラムスクールと違う点は、そのメンタルのコントロールも教えることにあります。

 

これを読んでる人はドラムをお金を払って勉強しようかって人ですから、向上心にあふれる人と想像します。

その向上心でもってドラムがうまくなった経験がそれに終わらず毎日の生活、仕事、学業、人間関係に役立つ方がとても多かったのです。

その理由は、うまくなっていくプロセスの中に一定の法則性があり、ドラムを練習することを通じてその法則性を理解することが実生活に非常に役立つようなのです。

それを理解しながら練習すると上達が早くなるということにも気づきました。

 

  大小ドラム教室やドラムを教える音楽学校もたくさんあります。

ただ僕でしか教えれないことがあって、それを伝えることがその人の実生活を豊かにすることにつながるなら、自分の経験してきたことも無駄ではなかったかなと感じることが最近多々あって、しっかりと教えて(伝えて)いこうと動き出しました。

 

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2011年11月18日 (金)

資本主義の崩壊とドラム3

人生を豊かにするドラム講座」で書きましたが、自分がドラムを上達するために努力してきた経験の全てが、「生命の根幹はイマジネーションである」というマイケル・ポランニー~栗本慎一郎さんの暗黙知の理論に出会って、それで説明できてしまうことにびっくりしました。
「人間ってこうなんだ~面白いなぁ~」・・・生命の根幹はイマジネーションである

僕が心底びっくりし、そしてうれしかったのは、ドラムを上達することの作業の中に、そのプロセスに見出せることは、要は自分の中にある才能(能力)を発揮したいと望んだ人は暗黙知の理論に基づいて意識して努力すれば全員がその能力を発揮できるということ。
それをもう少し掘り下げて調べてみたら、どんな作業をするときでもそれは有効であることがわかりました。

それが「量より質を求める」時代にぴったり来るのです!!!

では、イマジネーションとはなんぞえ???

そう問いを発したとき、僕の頭の中に浮かんだイメージ(イマジネーション、笑)は波動&コミュニケーションでした。

この僕らヒトの命も機械と同じように何かしらの、未だに解明されない「作動原理」があって初めてヒトという生き物としてこの世に生を受け泣いたり笑ったり考えたりしてる。
その原理の一番上位に来るのが「精神」「心」「魂」とかって呼ばれる存在?
そこにあるとわかっていて手でつかめないもの(笑)

物質の最小単位が確率であるとわかった20世紀。
では精神もイマジネーションも波動なんではなかろうか!?

そして”生命の根幹はイマジネーションである”という暗黙知の理論は、その生命の作動原理に明らかに迫っている。少なくとも僕はそう直観する。

そんな暗黙知の理論でドラムの上達が説明できるということは、ドラムを上達するプロセスの中に生命の作動原理のどこかに触れる働きが含まれているのではないか。
自分がドラムを上達してきて、叩く喜び、音楽する喜び、他者と音を出す喜び、を心底感じる事実をそこに重ねると、いのちの作動原理に触れるということは自分の生命が喜ぶことであるよなと。

自分のいのちが喜ぶことをするということは当然に自分の人生がより豊かに幸せになるということではないか~~~!!!

いささか強引ですが、ぼくはそう感じたんです。

量より質の時代、とはそういうふうに説明できると思います。
命の喜びを知っている人が増えるべき時代、ということです。

そしてぼくのドラム講座は、ドラムをうまくなることに集中すれば、自然に自分のいのちを喜ばせる方法が身についてしまうというものなんです。

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2011年11月10日 (木)

イメージの仕組み

理解するための背景

質問:ドラムをはじめたきっかけは?

どうですか?この質問を読んだ瞬間、いろいろなきっかけになった昔の出来事を思い浮かべましたよね。

それが「イメージ

それが“ドラムをやったるで!”って意欲につながってスティックを買いに行きましたよね(笑)

すべてはそのイメージがスタートラインです。    

そしてこの練習方法の仕組みはこうです↓

イメージ

↑↓

個別練習&リスニング

↑↓

直観(練習の蓄積が直観を呼ぶ)

↑↓

イメージの強化(やる気がさらにわいてくる)

  

これは人間の知の構造には目の前のことに集中してやっていると必ずそれを諸細目とする包括的全体像を見つけようとする働きがあることによります。

人間の精神には「意味」を見つけ出そうという力が生まれもって最初からインプットされているそうです。

最初に「ドラムをやりたい!」と感じた瞬間に心の中に自分にとっての意味がドラムをやることに対して生まれたのです。目の前のことでは「うまくなりたい」なんですが、な~んかいろいろあるでしょ?それ以外に(笑)

イメージがその意欲をかきたてます。そしてイメージを感じながら(これは意識的にやるほど効果がある)練習を繰り返すことで直観がどこかで出てきます。これはいつどうでてくるかわからない(笑)

こういう仕組みをわかって意識的に練習していくと上達するスピードがすごく早い。

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人生を豊かにするドラム講座

人生を豊かにするドラム講座

 

どうしてドラムを教えたいと思ったのか
・・・ここに至る短いストーリー

実績ある音楽事務所に所属して、「プライオリティ・アーティスト」としてポリドールからそれなりの予算を獲得して1999年にデビューした“みみずくず” 

まわりの誰もがある程度は売れるだろうと思っていたけれど、意に反して売れず。

失意の中、嫁の待っている大阪に戻る。

「俺の40代は何だったのだろう・・・」

一瞬、夢が実現してそして5年後その夢が東京の雑踏の中に消えていった。

語る言葉を失った自分。ここまで来るのに支えていたものがポキっと折れてしまった。

なぜ売れなかったのだろう?

そこから始まった検証の日々。

そして嫁に迷惑をかけつつのビンボー生活。

売れるとはどういうこと、オリジナリティとは、才能とは・・・

大阪に戻って細々とみみずくずの活動を続けながら、そんなことを考えていた。

自分が人に語れることはこの経験しかない。であるならば、その思いをしっかり記録して残しておこう、そんな気持ちで、自分のために備忘録として“メジャーデビューは誰でも出来る!!”というブログを立ち上げる。

そこで気づいたのが「才能というものはあるんだな~」ということ。

いや、当たり前すぎて気づくも気づかないもないと突っ込み入れたいような「事実」だけれど、自分にとってはそれはものすごい大きな気づきでありました。

というもの、ドラムをはじめた当初から何を根拠にしていたのか今ではまったく不明なことながら(若さ故としか言えないのか?)確信を持って「才能は努力すれば必ず発揮できる」と思い込んでプロのバンドマンを目指して活動をスタートさせた。

それだけが活動の拠り所だったのだけれど、40代でメジャーデビューして売れなくて気づかされたのが、この世界は努力ではどうしようもない「才能」という壁があるという厳然たる事実。

お前、40過ぎてもそんな当たり前すぎることに気づかずがんばってたのか・・・

脱力感。

しかしながらずっと努力してきたおかげで身についたドラムを叩く技術。

これもまた事実。

(結果が出なかったという意味で)才能がない自分でもここまでできるようになったという事実は消せない(ありがたや~)

そこで出会った、マイケル・ポランニー~栗本慎一郎~伊勢史郎の「暗黙知の理論」tacit knowledge) 
一言で言ってしまえば
生命の根幹はイマジネーションである

この“生命”を音楽でも人生でもドラムでも仕事でもなんにでも置き換えられる。

これとんでもないことだと感じた。

この「暗黙知の理論」を勉強することで、自分が身に付けてきた音楽の素養、ドラムを叩く技術が体系的に説明できるようになった。

それが見えてきたら誰にでもある自分の中に眠っている才能を見つけ、引っ張り出し、形にするレシピが作れるのでは!!??と「直観」したんであります。

そうすると俄然、初心者にドラムを教えたくなってきた。

体系つくりをしている過程で気づいたのが、この自分の中に眠っている才能を引っ張り出す作業はドラムだけじゃなくてどんなことにも応用できる、役に立つプロセスなんとちゃうやろか!?という感覚。

やっぱし努力で才能は開花できるかも!という予感。。。

僕にはドラムを上達することを通じてしか確信をもって語れることはないですが、自分が

「こうしたい」という欲求ができるようになることの快感はほんとに気持ちいいものです。

ドラムの初心者や伸び悩んでいる人。

むかし一生懸命やっていて年末のパーティーで久しぶりに時間がないのに5曲もコピーしなくちゃならないと焦っている方。

そんな人に最短距離でうまくなってもらいます。

そしてこのプロセスはドラムを上達すること以外にも役に立つのではないだろうか!

それが僕のドラム講座です。

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資本主義の崩壊とドラム1

僕は日経平均先物取引をしているので、経済や世の中の先行きや動向にとても興味があります。興味というよりそれを調べ読むのが、儲けるためには不可欠だから、と言う方がより正確ですね(笑)

これを書いているのは2011年11月。
イタリア国債急落で世界の株式市場が暴落しました。
ユーロ崩壊かというところまで行きそうな雰囲気^^;
ドルの基軸通貨維持も危ういと言われている。

日本では小泉政権がグローバルスタンダードを推し進め、金融緩和を行った結果がもたらしたのは、派遣労働者の増加による、貧富の差の拡大。労働賃金の低下と技術の革新でコストが減った分、企業は不景気といわれてもどんどんキャッシュフローを増やしている。
賃金に反映されない。なので消費は落ち込み、お金が世の中に回らないので、好決算連発でもデフレから脱出できず、内需は拡大しない。先行き不安でますますみんなお金を使わなくなるので不景気は収まらない。負の連鎖。
しかし経済そのものは膨れ上がって、実体経済から離れて貨幣がネット上を世界中、24時間駆け回って人々の生活を右往左往させている。

そんな資本主義の行き詰まりをみて、「新資本主義」なることを言う人がでてきた。

できるだけ簡便に言うと、消費と成長と拡大を基盤として利潤の追求を行うことで人々が幸せになるとしてきた「資本主義」が終わり新しい世の中に変わりつつあるのが、この21世紀初頭の今ではないかということ。
身の丈にあった実体経済に戻さないといけないのではないだろうかという考え方。

物が飽和状態になり、いわゆる後進国でさえいつまでも成長は続かないと言われてきている現状。
右肩上がりの世の中が終わり、「正規労働者」が減り派遣が増えて、年収二百万以下の人が急増している。限られたパイを分ける、一握りの強者と大多数の弱者という構図の出現。

ドラッカーは20年前から言ってたけど、これからは一生勉強し続けていかないとサラリーマンという職さえも追われると。
年金に頼れず、政治に頼れず、会社にも頼れない。言い換えれば、自分の身は自分で守るということ。

では何をどう勉強していったら、最大限に自分の能力・才能が発揮されて幸せになれるのか。ドラムをうまくなるということとそれが実はまるで同じことだと発見したのです。

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資本主義の崩壊とドラム2

前項で資本主義が行き詰っていると言いました。
贅沢が美徳、な価値観が変わってきたとでもいいましょうか(笑)
かわりに必要なのは「Mottainai」の精神!?

経済がなくなるわけでも、貨幣がなくなるわけでもない。
今まで通り、僕たちは仕事をし、お金を稼いで家族を養い、子供を教育し、趣味を楽しんだりする。繰り返しますが成長と拡大を前提とした資本主義が終わり、世の中全体が「非成長時代」に突入してきているのです。
そこで今までと違った物や価値観が必要とされるようになると僕は考えています。

一言で言うと「量より質の時代

こういうことになると思います。
21世紀になったときに僕は「21世紀は物じゃなく心の時代」って友達に言ってました。
それがここにきてより具体的な姿が見えてきたように感じます。

例えば、自動車ですが、20世紀は車を所有する、運転するということが目的であり大きな喜びだった。でも今は車の性能が上がり、白物家電化している。だれでも自動車を運転するようになった。そこで求められているのがよりよい質。売る側からしたら差別化したいんだけど、その方向が「贅沢」なものではなくて質なんです。
デザインが非常に斬新だったり、飽きが来なかったり、見えないところの部品に高価なものがおごられていたり、電気自動車だったり。
テレビでもパソコンと一体型になって通信ができるものを求めるようになってきている。

物を所有する(贅沢する)満足から、使って心(精神)が喜ぶ満足へとシフトしてきていると感じるのです。
これからの時代は心や精神を満足させることのできる物やサービスを提供できる企業やお店や個人が重要視されてくると思っています。

では、質を求める人、すなわち心や精神の満足感を重要視する人ってどういう人でしょうか?

これははっきりしています。
世の中の「知的レベル」が上がっていくということです。
質がよいということは、ある程度以上の知的レベルがないとわからないからです。
世の中に物があふれ飽和状態になった結果、そういう人が増えてきているんです。

そして心や精神って、そこにあると誰でもわかっているし感じているのに、物(数字)では決して現せないものです。改めて考えてみれば不思議ですよね^0^

んんっ!!?? ・・・音楽って芸術ってそういう形にならないものを形にしようとする作業ではなかったか!

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潜入・焦点・オリジナル曲

まず一番に知っておくべきは
オリジナル曲(包括的全体)の完成へむけて、あらゆる要素を「統合」しようとする力が生まれつき人間にはあるということ。

カバーするときはその曲に潜入すればよい。
包括的全体から諸細目を眺めればよい。
しかしオリジナル曲を作る場合は、包括的全体がそもそもない(笑)オリジナルを作る、創作とは包括的全体を発見する!?ということ。

それを完成されたオリジナル曲(包括的全体)から見ると、作ろうとしている我々のネタや技術や経験などはすべて諸細目
自動車に例えてみれば、目の前にエンジン、ガソリン、タイヤ、ボディ、窓枠、シート、その他何千という部品が目の前にころがっている。それらから包括的全体(自動車)がどうしたらイメージできるのか?

だから、まずはその諸細目に焦点をあてて、そこに集中してみる。
つまり諸細目に「潜入」する。

出てきたメロディやリズムや歌詞やアレンジや、それぞれについて出尽くすまで考える。

直観を作動させるためには、多くの試行錯誤(蓄積)が必要。
そしてたくさんの曲をつくる。諸細目を増やす。
その際大切なのは「テーマ」 イメージと言ってもいい。
出てきたネタを眺め回して感じる「なんとなく」のイメージ。
「コンセプトを見つけるために」「最高の曲をつくるために」「プロのバンドマンになるために」「青に緑が混じったくすんだ色」・・・無限にイメージはわいてくる。
それに沿って出来かけの曲をながめてみる。
たくさんの曲を作っていく。
そこからどんなイメージが描けるのか。
色、におい、触感、感情、温度、、、、、
それがはっきりとしているものにもう一度焦点を当て直してアレンジ、演奏、歌詞、メロディetcをまとめあげていく。それを繰り返すことによって(突然!)直観が作動して、それら諸細目を「統合」して包括的全体(オリジナル曲)に至るエネルギーが増える。そしてイマジネーションが強化され、何かが出来上がりつつあるという感覚が確信に変わっていく。

人間には諸細目を統合しようという知の働きが誰にでも宿っている。
その統合の力を強化するのが、イマジネーションと直観。

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2011年9月21日 (水)

映画館

眉村 卓の本を読んでいて「映画館の空き地」というショートショートがありました。

僕が子供のころ、母親によく映画に連れて行ってもらった。東京オリンピックがあった頃です。あの頃はまだ映画は大衆娯楽として絶大な威力があった。席取りがまずは仕事で、前の上映が終わる頃に無理やり館内に入って通路でその映画が終わるのを待つのです。そして見終わった客が立つと同時にできるだけ見やすい真ん中ちょいうしろくらいの席をダッシュで確保しに行く。もしその競争に負けると他の席も競争でいい席を取ろうとみんながしてるから、家族ばらばらで座らなあかんとか、端っこの首がこりそうな席しか空いてない状態になってしまう。

それくらい映画は人気があった。

そして世の中は高度成長真っ只中。
お金や物に価値があり、みんなが家を持つことや自動車や最新の家電製品を所有することに疑いのない喜びや向上心を感じていた。

2011年
いまはどうだろう?
駒さんとときどき映画に行くけど、日曜の午後ですら座れる。
映画が面白くなくなった?
そうではないと感じる。
面白い映画はたくさんある。

まぁよく言われるように娯楽の多様化なんだろうと思う。
いまは若い人の将来に対する選択肢がものすごくたくさんある。
それだけ仕事が増えたのか?
いやただ細分化されただけだ、という意見もあるけど、世の中に流通しているお金をみれば何十倍にも?なっている。それだけ生産物が増えたのでは?とも感じる。

音楽業界はCDの売り上げが10年前の半分になってしまったとかで、大手外資系量販店が次々撤退していってる。(みんなネットで買うようになったという事情もあるでしょうけれど)
ヒットチャートにのるような音楽はAKBとジャニーズばっかりで皮肉なことに多様の”多”の字もない。みんなどこで何をしてるんだ~

そんな面白くなくなったヒットチャートの音楽や玉石混合の映画や漫画を眺めていて、「あ~アーティストも迷っているよな・・・」と感じるのです。

映画に力があった僕の小学生時代。
映画やヒット音楽は単純に「大衆の娯楽」そういう存在でよかったし、そんな娯楽が物やお金をもとめてがんばる世間を励ましたり、癒したりして世間とぴったりと寄り添って「歌は世につれ世は歌につれ」だったと思う。作り手もそういう価値観がはっきりしていたから制作の方向に迷いはなかった。

2011年
いまはどうだろう?
「多様化」
つまりは方向感がない、と言えるのでは?少なくとも僕はそのように感じます。

でも無意識のところでは、しっかりと確信を持って今を生きたいと、たぶん世の中のひと全員が感じてると思います。確信を持てないと時間の経過とともに世界はどんどん悪い方向に行ってしまう・・・という予感も多くの人の中に芽生えているようにも感じます。
日本では東北大震災がその部分に加速をつけさせたように僕は強く感じました。

んな時代の表現者の、アーティストの立ち位置はどうなんだろう。
つまり僕らは何をどう表現していったらいいのだろう。
3月11日以来、ことのほか強くそれを考えざるをえなかった。
”ミッション”や”テーマ”やなんちゃらかんちゃら、僕はもうずっとそのことを言い続けてますよね。
でも言ってる僕が、確信を持って表現しなくちゃならない、とは確心をもってわかるのですが、その中身がどうにもはっきりと見えてこなかった。
そこにあるのにそれは何??  みたいな感じ。
先日の自動車の例えもそうだけど、ここにきてなんかかなりイメージがはっきりしてきた。
直観がはたらいたように感じます。
んで、眉村卓のショートショートを読んで内容とはまるで関係ないのですが、僕の小学生時代にワープさせてくれて「見えた」のです。
まぁ僕のことだから「見えた気になった」ってことなんですが(苦笑;)

見えたこと。。。それは

受け手に未来を見せること、感じさせること
そんな作品を作ること

ははっ、だからSFを書くってことじゃないですよ。
ってわかってるかそんなことは^^;

いまアーティストに求められることは人を励ますことや癒しや娯楽なんだろうか?と感じています。
お笑い芸人でも経済についてコメントを求められる時代です。
何が「幸せ」なのか、何が「あるべき未来なのか」そこに触れた作品をつくる!!というのが方向なんだろうと感じたのであります。
その方向に迷いがあれば表現に力は生まれない。
迷わず取り組める方向、構築する価値観。
それが「よりよき未来」をイメージするってことだと僕は感じてしまったと。

何か根本的なところでの人間社会の変化を感じてしまっています。
だからと思うのですが、表現者はこういう一番人間社会のベースになることを考え、イメージしつつ、形にすることを求められているのでは、と感じるのです。
もうそれは今更メジャーもインディーも全く関係ない。
インターネットのおかげで、タイミングと努力と人の助けがあれば、個人のたったひと言が世界を変える時代です。

違う言い方をすると、現代の多様化の先にあるであろう着地点、そこに何があるのだろうってことを常々考え、イメージして、表現し続けていく、ということでしょうか。

21世紀にはいって、特に科学の進歩はSF小説を追い越すくらいであるようです。
でもどちらも元はといえば僕たち人間の想像力、創造力、イマジネーションの産物でしょ。

ぼくたちも、例えば50年後の日常生活をイメージしながら、
Tentaの子供、つまり孫にとっての幸せはどんなことであろうか~なんてことを考えながら
100年後の空は何色なんだろう~
まだ講談社ってあるかな~
東京で地震は起こってるだろうか~
みみずくずは語り継がれる名曲を残したであろうか~
円が世界の基軸通貨になってたりして~
中国はあるだろうか~
ついに「宇宙人」と「国交」?がはじまったりして~
みんなどんなもので音楽を聞いてるんだろうか~
自動車の四隅にタイヤはついているだろうか~

キリがないですが、表現者である僕たちが現在の日常を描いたものであろうと、いつも「どんな未来がぼくたちにとってよりよき未来なんだろう」という問題意識が底にいつも流れていることで、その作品に触れた人たちは今よりは意識的に未来を考えることになりはしないか、という期待。

今じゃなくて未来を考えることが今を生きることであるのでは・・・と感じたのであります。
昔の映画館を思い出して、、、
みんなで真剣に「未来の幸せ」を考えていこう、イメージしていこうではないか。
僕たちの作品が無意識的でもいいからそのきっかけになれば。。。

そしてなぜ「よりよき未来」をみんなで考える必要があるのか??

このままでは、人間が作り出した貨幣や資本主義や科学技術。要するに豊かな生活を実現してくれる筈だったものが、逆に人間を食ってしまう可能性がとてもとても加速度ついて高まってきたのかもしれないと、感じるからです。

その二つがやっとつながった。

俺のような鈍感なやつでも東北大震災はそんなことを考えさせてしまうくらい大きな災害、事件?事故?だったと思います。

”ミッション”や”テーマ”やなんちゃらかんちゃら、10年近くつぶやきつづけてましたが^^;それは「よりよい未来をイメージする」という、言ってしまえば誰でも「そうだよね」とうなずくようなことだったようです(笑)
今回ばかりは、便秘のウンコが出た~お腹が軽い~ってくらいはっきりと確信を感じられます。
そしてそこに「人類の危機」という手に余るオマケがくっついてきてるようです、あはははっ
・・・「人類の危機」ってイコール実は「人類の進化」ですが、、、、、

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2011年9月11日 (日)

イマジネーションとフィルイン

I君へ

手が遅れる、もっと速いテンポで叩きたい!!についてあのあと考えて少し調べてみました。
才能と言い切ってしまうと、おれのポリシーに反するやんってことで^^;
でっ、一読しただけでは分かりにくい文章かもしれません。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

筋肉を物理的に動かすのは脳の命令で電気信号が手に送られるからですね。
その命令で手が早く動くかどうか。
その過程でイマジネーションはどう働くか?
その際、手を速く動かす、という命令そのものがイマジネーションになります。
(例えて言えば脳や手は自動車のエンジンやタイヤのようなもので、車を運転したい、ドライブに行きたいって欲望(命令)は心の中に浮かんだもので”形”にはできません)

そして脳や手はそのイマジネーション(命令)を前面に押し出すことによって(速く動かすにはどうしたらいいか、という執着心、笑)手の筋肉が無意識に速く動かす方法を探り出す。
そのプロセスでの練習の量と、速く動かしたいっていう気持ちの蓄積がなされていくどこかで直観がはたらき(それは予想できない)「やれる!」という確信と実際の手の動きがもたらせる・・・そういうことだと思います。

・・・と考えると、手を速く動かすという行為を生活の中の「重要課題」として心の中に位置付けて取り組んだら、才能には関係なく動かせるようになるのではと言えます。なので前言撤回(笑)

ただ、初心者でも180くらいまではコツコツやれば必ず動くようになります。それに上記の考え方を取り入れて練習したら効果バツグン!!!はははっ♪

それとフィルインが遅れたり、走ったりの件ですが、言い忘れが一つ。
そのフィルインの音符(できれば前後4小節くらいも)を書き出すことを強く勧めます。
付点の付いてるフレーズだと流れで聞いてしまって見失うことが多いので、譜面にして書き出して一拍一拍の音符をしっかり「意識」することが「イマジネーション」の強化につながります!!

理解していただけますか?
ドラムを上達するためにこんなこと言ってる奴って僕が勉強してきた範囲では見たこと無い^0^;
僕の中ではドラムを上達することもだけど、
そのプロセスを体感することで人生を豊かなものにする方法を見つけて欲しいって感じですね。
人生が豊かって、自分の才能が発揮されてるなぁ~いい友達に恵まれてるなぁ~ってことだと思ってます。
だからこれはドラマー以外にも関係のある話だよね

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